私の育った環境
私は小さい頃の環境のおかげで、日本語、英語、中国語が喋れる。
私は日本の東京で生まれた。そして、生まれて1ヶ月で親の仕事の都合で、中国の上海に来た。中国では、現地の幼稚園(中国語)と小学校(中国語)に3年生まで通って、小学校4年生から現地校の国際部(英語/中国語)に通った。大学は スイスのフランス語圏で、英語で授業を受けている。
学校では中国語と英語で学んでいたが、家ではずっと日本語を使っていて、学校には日本人の友人もいたので、日本語が途切れたことは一度もなかった。だから私は日本で育ってないにも関わらず、普通に日本人と喋っていると普通の日本人だと思われる。
実際の頭の中の様子
日常的に三つの言語を使っているから、常に、頭の中はごっちゃごちゃなのだ。単語を忘れるのなんて、ほぼ日常茶飯事。ほかの二つの言語での言い方はわかるけど、いま喋っている言語での言い方がわからない時ほど、悔しい時はない。
複雑な単語を忘れた時は、まだ大丈夫なのである。もっとシンプルに説明する方法があるからだ。でも本当に簡単な単語をど忘れしてしまうと、もうどうしようもない。
わたしは一回、友達と英語で会話してるときに 、because という単語をど忘れしてしまったことがある。自分でもすごくビックリした。でも忘れてしまったことは思い出せない。
日本語では「だから」中国語では”因为”まではわかっていたけど、なぜか英語でなんていうか忘れてしまった。ここまでシンプルな単語を忘れてしまうともう、説明なんてできない。
5秒ほどの沈黙のあと、わたしは話をすることを諦めた。今でも苦い思い出だ。ちなみに、それから単語を忘れない方法を模索したが、今でも見つかっていない。
トリリンガルということ
複数の言語を学ぶのは難しい。単語を覚えて、文法を習って、言い回しに慣れなければいけない。幸い、私は比較的幼い頃から、全ての言語に触れながら育ったので、学ぶことには、そこまで苦労はしなかったが、それでも難しいときはある。
面倒臭いのは、言い回しや助詞が、言語によって微妙に違うことだ。例えば、日本語では「薬を飲む」という言い方をする。薬と言われるとシロップのような液体や、水で飲み込むカプセルを思い浮かぶ人も多いだろう。
中国語では「吃药」という。「薬を食べる」のだ。問題は英語の “take medicine” 。水薬の場合は “drink medicine” ということもあるらしいが、普通は “take” を使うらしい。ややこしい。わたしはよく、中国語の影響から「薬を食べる」と言ってしまう。
こういう違いは、数え始めたらキリがない。わたしは喋ってるときにそこまでの違いを考えてられないから、同じミスを繰り返してしまう。
もう一つ例がある。「車に乗る」ときだ。英語でも中国語でも “on the car”, “在车上” という。中学の時はよく「車の上でね、」と友達に話をして、注意されてたものだ。
家族も友達も注意してくれるから良い。恐ろしいのは、そんなに私のことを知らない人と会話してるときに、間違えてしまう時だ。最初に書いたように、私は普通に会話をすると、変なイントネーションがない故に、普通の日本人だと思われる。日本人への期待値をもって話される。
こういう間違いをすると、本当にただの「バカな日本人」だと思われるのだ。考えてみて欲しい、あなたは自分の子供に「車の上に乗る」人なんかと友達になって欲しいと思うだろうか。少なくとも私は思わない。
本当に神様がいるのだったら、私と会話する全ての人たちに、私のバックグラウンドを耳元で囁いて欲しい。わたしは別に、「飛行機の上」に乗れるほど、勇気がある人間ではない、ただ、色んな言語で頭がごっちゃになった「普通」の人だということを!