『ぼくはホワイトでイエローでちょっとブルー』フレイディみかこ|感想

フレイディみかこさんの書いた「ぼくはイエローでホワイトデちょっとブルー」は日本に帰るたびに、本屋の目立つところに置かれていて、ずっと気になっていた本だった。

人にも勧められたけど、長い間読むことが出来なかった。

「アジア人と白人のハーフの子供について書かれていて、差別やレイシズムについて考えさせられる本」だということは知っていた。

だからこそ、読めなかった。私は本の名前から、これは日本と白人のハーフの子供がイギリスでいじめられた経験を書いているお話だと勝手に思っていた。

自分がハーフでアイデンティティクライシスで長い間悩んだこともあって、ハーフの子供がいじめられている話などを聞くといたたまれなくなる。読んでいて辛くなってしまう。

でも、この本は違った。面白くて2日で読み終わってしまった。

日台ハーフで中国育ち、アメリカの教育を受け、今はスイスの大学に通っている私にも突き刺さることが沢山書いてあった。

フレイディみかこさんの文章には人を引き込む力がある。本を読み進めているうちに、ぎゅっと心臓を掴まれるような感覚を何度も経験をした。息子の学校で経験したことを書いているだけなのに、自分が息子と一緒に教室にいるような緊張感を味わうことができる。そんな本だった。

時には、気まずい雰囲気の中、息が止まりそうになったり。時には、子供の素直な疑問にどう返せばいいのか一緒に悩んだり。時には、息子さんの素晴らしい感性に感動して涙が溢れそうになったり。

誰かが本の帯に書いたように、「一緒に考えたくなる本」だった。

たくさん、共感できることがあったので、感想文を書いてみたいと思う。


あらすじ

優等生の「ぼく」が通う元・底辺中学は、毎日が事件の連続。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子とパンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。落涙必至の等身大ノンフィクション。

Amazonより

この本の一番好きだった部分は、なにが問題があったときに、息子さんがそのことを自分の中に溜め込まず、お母さんのみかこさんに相談して二人で一緒に考えたりすることだった。

親子でちゃんとコミュニケーションをとって、問題は何なのか、どうしてこういうことが起こるのか、自分はなにができるのかを毎回考えているのがすごく感動させられた。


「ハーフ」の子供たち

まず、最初にすごく共感したのは「ハーフ」という言葉についての考えだった。

ハーフの子供たちは、親と違う言語を話せたり、親よりも住んでいる国の言語が上手だったりする。子供は吸収力が高い分、言語の文法や発音だけでなく、その土地の考え方や文化などもぐんぐん吸収していく。それによって、ハーフの子供は親と持っている「感覚」が違うことも少なくない。

だからこそ、子供と同じ経験をしていない親が、子供の周りで起こった出来事を一緒に考えようとしている姿勢に感動させられた。

世界中には、いろんな種類のハーフがいる。アジア同士のハーフ、アジアとヨーロッパのハーフ、アフリカとのハーフ。親の言語が話せないハーフ。会話はできるけど読み書きができないハーフ。その国に住んだことなく、文化をあまり知らないハーフ… 私もいろんなハーフに出会ってきた。みんな、育ってきた環境が違う。

私は日本と台湾のハーフのため、見た目のことであまり悩んだことはない。

この本に書いている息子くんは、アジア寄りの見た目のため、イギリスで道を歩いていると「ファッキン・チンク」(アジア系を指す特にひどい蔑称)と罵られることがあるという。

でも、そんなことをされても息子くんは冷静に考える。なぜ、同級生と歩いていてもなにも言われないのに、アジア人の母と道を歩いているとそんなことを言われるのか。そういうことを言ってくる人たちは、どんな気持ちでそれを言ってくるのか。

冷静に物事を見ている息子くんに少しうるっとしてしまった。

ダブルじゃないの?

最近、日本では「ハーフ」はネガティブな響きがあるから、「ハーフ」じゃなくて「ダブル」という呼び方をしている人たちが増えている。

昔は「ハーフ」と聞くと、ネガティブなイメージを持っている人が多かったらしい。でもいまは、ハーフモデルたちの活躍によって、「ハーフ」という言葉のイメージが上がってきていると思う。国際結婚の増加により、ハーフの子供たちの数も増えている。

本の中で息子くんが「ダブル」という言葉に対して感じていた違和感、実は私も感じていた。

アイデンティティについて、長い間悩んでいたけど、最近ようやくちょっとずつ自分のことがわかってきたと思う。

私は自分を「ハーフ」だと思っている。

私にとって、「ハーフ」という言葉はすごくニュートラルな単語だ。特に深い意味は持たない。二人の親の国籍が違うから、自分は50%日本人で50%台湾人なのだ。

日本で育った日本人と比べると、自分は「日本人」らしくないと感じさせられる。

台湾にいても同じように感じる。自分は普通の台湾人ほど台湾を良く知らない。台湾人と喋っていると自分の日本人ぽさを感じてしまう。台湾人にはたまに「日本人すぎる」と言われたりもする。「日本人すぎる」ってどういう意味で言ってるのかわからないけど。

そんな感じで、どこにいても急に疎外感を感じることはある。それは日本語が咄嗟に出なかった時だったり、日本の地理や歴史などの常識を知らなかった時だったりする。

日本語を喋るときに変な訛りがない分、「日本人」だと思って接されると、簡単なことを知らなかったときに、すごくビックリされる。そんな顔をされると結構傷つく。

だから私は、自分を守るために「ハーフ」だということを人に先に教えることが多い。ハーフと先に言っておくと、何か知らなくても大体みんな理解してくれるから。

日本にいるときは半分日本人で、台湾にいるときには半分台湾人、足して1が私という人間だと思っている。だから息子くんが言っていた「ハーフ&ハーフ」という言葉を見たときに心の中で「これだ!」って10回くらい頷いた。

そんな感じで自分の中では「ハーフ」という言葉がしっくり来ている。「ダブル」はなんだか自分が急に2倍に膨張した感じがするからなんか変な感じがする。

個人的には「ダブル」よりは「ミックス」の方が好きだ。

日本での妙な体験

フレイディみかこさんの息子は、日本とイギリスのハーフだ。顔立ちはアジア人よりだが、イギリスで育ったため、日本語はあんまり話せないそうだ。

家族で日本の居酒屋に行った際、隣の席の酔ったサラリーマンに「日本人なのに日本語を教えないのは日本に対して失礼」と絡まれたりしたことがあったらしい。

私も上海に長い間住んでいたから、海外で自分の母国語を学ぶ大変さはわかっているつもりだ。幸い、上海には沢山の日本人が住んでいたから、日本人の友人もでき、私は日本語を習得することができたが、これがもし日本人の全然いない地域にいたら、日本人学校に通わなかった私の日本語がこれほど上達することは絶対になかったと思う。

居酒屋のおじさんは多分、日本語を喋れない黒髮の人にあまり会ったことがないんだと思う。金髪でも英語を話せない人が沢山いるように、育った環境によっては日本人でも日本語が話せない人もいる。

自分の慣れてないものに遭遇したときに、身構えるのはわかるけど、敵意を向けるのは違うと思う。

マルチカルチャーはいつも手探り

自分の無知で人を傷つけたくない。でも、人の勘違いに傷つく時もある。

本に出てきたアフリカ系のお母さんはフレイディみかこさんが「お子さん沢山いるんですね」と言ったのに対して「そっか、あなたの国では一人しか子供を産んじゃいけないもんね」と返した。

東洋人を見て中国人だと決めつけているのと、それと一緒に同情の目線を送ったアフリカ系のお母さん。会って数分の挨拶程度の会話で、相手に悪意がないのもわかっているのに、ここまでモヤモヤするものなのか…。

私もスイスに留学をしていて、ヨーロッパのいろんな国の生徒たちを見て、あまり馴染みのない国の人たちは「フィンランドかスウェーデンかノルウェーかデンマークの人」という風に覚えられない時がある。

自分にとって「あまり差のないこと」でも相手にとってはアイデンティティに関わる大事な問題な可能性があるから自分もちょっと気をつけようと思った。

最後に

私にとって、この本はすごく衝撃的だった。ハーフとしても、海外で暮らすマイノリティーとしても、色々と刺さって来ることが多かった。

多様性や国際化が重要視されている今でもまだ、実際に多様な世界に住んでいる人たちは少ないと思う。

私はこの世界には多様な世界に慣れている人と慣れていない人の二種類の人がいるのだと思っていた。でも、本を読んで考えが変わった。いるのは自分と違うバックグラウンドを持つ人を受け入れられる人自分と少しでも違う人を拒絶して排除しようとする人だけだった。

世界中の人々の流動性が高くなった今、息子さんと同じように、自分とは全く縁がないと思っていた世界に飛び込まないといけない日がやって来るかもしれない。逆に、違う世界の人だと思っていた人が自分の世界に突然飛び込んで来ることもあるかもしれない。

そんなときに、変化を怖がって自分の殻に小さく閉じこもるのではなく、もっといろんなことにオープンに生きていきたいと思う。

何もわからない人がいたら、わかる人がちょっとずつ教えてあげれば良いと思う。

息子さんは多様性について「頭が悪いってことと無知ってことは違う。知らないことは、知るときが来れば、その人は無知でなくなる」と言っていた。本当にその通りだと思う。

自分の知っている世界の中でだけ生きようとしたり、変化を望まないと、歳をとるにつれて世界は狭くなっていくだけになってしまう。でも、知ろうという気持ちがあるだけで、世界はどこまでも広くなれるはずだ。

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