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「薬を食べる?(吃药)」日英中トリリンガルが語る言語の難しさについて

私は小さい頃の環境のおかげで、日本語、英語、中国語が喋れる。

私は日本の東京で生まれた、そして、生まれて1ヶ月で親の仕事の理由で、私は中国の上海に来た。中国では、現地の幼稚園と小学校3年生まで通って、小学校4年生からインターナショナルスクールに通った。学校では中国語と英語を学んでいたが、家ではずっと日本語を使っていて、学校には日本人の友人もいたので、日本語が途切れたことは一度もなかった。だから私は日本で育ってないにも関わらず、普通に日本人と喋っていると普通の日本人だと思われる。

だが、わたしは海外で育った。日本人学校に通わなかった。塾にさえも行ってないのだ。だから、当然日本語のレベルは、普通の日本人よりは劣る。日常的に三つの言語を使っているから、常に、頭の中はごっちゃごちゃなのだ。単語を忘れるのなんて、ほぼ日常茶飯事。ほかの二つの言語での言い方はわかるけど、いま喋っている言語での言い方がわからない時ほど、悔しい時はない。複雑な単語を忘れた時は、まだ大丈夫なのである、もっとシンプルに説明する方法があるからだ。でも本当に簡単な単語をど忘れしてしまうと、もうどうしようもない。

わたしは一回、友達と英語で会話してるときに 、because という単語をど忘れしてしまったことがある。自分でもすごくビックリした。でも忘れてしまったことは思い出せない。日本語では「だから」中国語では”因为”まではわかっていたけど、なぜか英語でなんていうか忘れてしまった。ここまでシンプルな単語を忘れてしまうともう、説明なんてできない。5秒ほどの沈黙のあと、わたしは話をすることを諦めた。今でも苦い思い出だ。ちなみに、それから単語を忘れない方法を模索したが、今でも見つかっていない。

複数の言語を学ぶのは難しい。単語を覚えて、文法を習って、言い回しに慣れなければいけない。幸い、私は比較的幼い頃から、全ての言語に触れながら育ったので、学ぶことには、そこまで苦労はしなかったが、それでも難しいときはある。面倒臭いのは、言い回しや助詞が、言語によって微妙に違うことだ。例えば、日本語では「薬を飲む」という言い方をする。薬と言われるとシロップのような液体や、水で飲み込むカプセルを思い浮かぶ人も多いだろう。中国語では「吃药」という。「薬を食べる」のだ。問題は英語の “take medicine” 。水薬の場合は “drink medicine” ということもあるらしいが、普通は “take” を使うらしい。ややこしい。わたしはよく、中国語の影響から「薬を食べる」と言ってしまう。

こういう違いは、数え始めたらキリがない。わたしは喋ってるときにそこまでの違いを考えてられないから、同じミスを繰り返してしまう。もう一つ例がある。「車に乗る」ときだ。英語でも中国語でも “on the car”, “在车上” という。中学の時はよく「車の上でね、」と友達に話をして、注意されてたものだ。

家族も友達も注意してくれるから良い。恐ろしいのは、そんなに私のことを知らない人と会話してるときに、間違えてしまう時だ。最初に書いたように、私は普通に会話をすると、変なイントネーションがない故に、普通の日本人だと思われる。日本人への期待値をもって話される。こういう間違いをすると、本当にただの「バカな日本人」だと思われるのだ。考えてみて欲しい、あなたは自分の子供に「車の上に乗る」人なんかと友達になって欲しいと思うだろうか。少なくとも私は思わない。

本当に神様がいるのだったら、私と会話する全ての人たちに、私のバックグラウンドを耳元で囁いて欲しい。わたしは別に、「飛行機の上」に乗れるほど、勇気がある人間ではない、ただ、色んな言語で頭がごっちゃになった「普通」の人だということを!

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パリに年越しに行ったら手術をしちゃった話 1

運がいい人も、運が悪い人もいない。運がいいと思う人と、運が悪いと思う人がいるだけだ。

—中谷彰宏

私が人生で初めて書くブログです。お手柔らかにお願いします。


この世界には、手術をしたくて手術をする人なんていないと思う。手術だって、怪我だって、したくてしているんじゃない。身体に何か問題が起こっちゃったりしてるから、しなくてはならいのだ。

自分でも何を言っているのかわからないけれども、私はパリで手術をすることになってしまった。それは、クリスマスの次の日に、私が強烈な腹痛を経験したことから始まる。ちょうど生理と重なっていたこともあって、私は最初にそれは生理痛だと思った。ただ、それは普段の生理痛とは違った。痛みが全然違うのだ。痛くて眠れないのだ。2時間おきくらいに起きてしまうくらいの腹痛に、私は悩まされていた。「やばいぞ…これ。」と私は思ったが、腹痛は私にとってそこまで特別なことではないから、あまり気に留めたりはしなかった。

朝の6時くらいだと思う。ものすごい吐き気が襲ってきた。運よく部屋からトイレが近かったので、部屋で戻さずトイレに無事に行けたが、そこから一気に気持ち悪さもやってきた。朝の間におそらく5,6回は吐いた。腹痛+吐き気で、私は自分が食中毒になったのだと思った。クリスマスの日とその前日に、私は火の入ったものしか食べてなかったにも関わらず、鍋をずっと食べていたにも関わらず、私は自分に食中毒になったのだと言い聞かせた。その日の午後に下痢が始まった。腹痛+嘔吐+下痢。いっぺんにくると肉体的に辛いけど、悪い物が体から出ていると私は喜んでいた。もうこれで治るのを待つだけだ。

なぜ、自分が食中毒になったことを疑わなかったかというと、半年前に一回なっていたからだ。その時も腹痛がすごく酷くて病院に行くのも大変だった記憶がある。点滴を打ってもらったり、もらった薬を飲んでるうちに良くなった。熱もすぐ下がったし、次の日には、もうふつうの状態に戻っていた。今回もきっと同じだと思い込んでいた。

熱は測ってないが、吹き出るような汗だったから、多分高熱が出ていたと思う。ベットから降りて、体温計を探しに行くことすらできないほど私はもう弱っていた。今思い返せば、私の症状は半年前の食中毒の時よりだいぶ酷かったが、どうやら、わたしは自分の状態を知ることが、すごく下手くそらしい。私はものを忘れるのがとにかく早い。痛みなんて、痛くなくなった途端どれくらい痛かったのか、すぐに忘れてしまう。その痛かった時の気持ちや、思ったこともすぐ忘れてしまう。ただ「痛かったな」とか、「大変だった」という曖昧な記憶が残っているだけだ。その曖昧な記憶と今現在の痛みを比べることが私にはできない。同時にその痛みを感じるか、交互に感じるかを経験しないと(もちろん無理だが)私には比べられない。「前回との痛み比べマシン」を誰かが発明してくれたら、私も自分の状態をもっとよく知れるかもしれないけど。そんなマシン果たして意味があるのだろうか。誰か痛みを覚えるコツを知っている人がいたら、是非教えてほしい。

夜は痛みで寝れない、昼はベットに寝そべることしかできない日が、二日間続いた。友達とストラスバーグに一泊する約束をしていたが、当然行けなかった。私が回復する前に友達とパリにいく日がついにやってきてしまった。予定はこうだった:12/27-1/1の旅で一緒にパリで年越しをするはずだった。

決断の時が迫っていた。友達はパリに来るために15時間ほどかけて飛行機で来る。私の体調がよくないことは教えてある。「本当に無理そうだったら、今回はもう旅行をキャンセルしちゃってもいいよ。体調の方が大事」と言われた。でもこれは1年前から(その時はちょっと冗談だと思っていたが)考えていた旅行。私はすごく楽しみにしていた。5日間とも一緒に遊べなくても、最初に2日間私が寝込んで、あと3日一緒にいれたらそれでもいいじゃないかと私は考えた。年越しさえできたら別にいいじゃないか。

そう思って、私は重いスーツケースを持って、パリに行く電車に乗って行った。


  1. […] この話はフランスで入院した後、スイスに戻ってからまた入院した話です。もしよかったら、「パリに年越しに行ったら手術をしちゃった話 1」とその続きの「パリに年越しに行ったら手術をしちゃった話 2」もご覧ください。 […]

  2. […] この話はフランスで入院した後、スイスに戻ってからまた入院した話です。もしよかったら、「パリに年越しに行ったら手術をしちゃった話 1」とその続きの「パリに年越しに行ったら手術をしちゃった話 2」もご覧ください。 […]

上海語が恋しい

こんにちは、上海に18年住んでいた、日台ハーフのほのぼのです。

最近はコロナの影響で、旅行をすることが難しくなってきています。私も次上海に行けるのは、早くて来年…かなと思っています。上海にいないと、上海語を聞く機会はほとんどありません。

なぜ、今急に上海語についてのブログを書いているかと言いますと、昨日偶然見つけたYouTubeの上海語動画を見て、上海語がすごく恋しくなったからです。なので、少しだけ上海語について書いてみます。


こちらが上海語に興味がある方にはぜひみてほしいオススメの動画です!

笑到模糊!4地方言大战!上海话/四川话/东北话/天津话

四人の女性が、上海語、四川語、東北弁、天津語の4つの方言で喧嘩の始め方や、「完了(しまった)」、「不靠譜(頼りがいのない)」、「幽默(面白い)」などといった言葉の言い方を比べている動画です。地域によって、言い方も発音も全然違います。女性四人で盛り上がっているところを見てるのもすごく楽しいです。

北方人伪装上海人, 会被发现吗? Who are fake Shanghainese?

こちらは「Kevin in Shanghai」という私が結構好きなチャンネルの定番になってきている「語学スパイシリーズ」の動画です。発音や質問を使って、みんなの中に混ざっているニセ上海人を探し当てるゲームです。発音だけじゃなくて質問コーナーもあるので、その地域に対して一定の理解がないとすぐにバレてしまいます。このシリーズはすごく面白くて、「ニセ中国人を探せ」や「ニセ東北人を探せ」などあります。一緒に考えながら見ることができるのですごくオススメです。


上海語とは

中国では、公用語として「普通話(日本で言う北京語を指す)」が使用されいますが、各地方ではさまざまな方言が使われています。上海語とは、上海で使われている方言のことを指します

上海語と普通話(北京語)の差は、日本人の感覚で言うと、標準語と沖縄弁くらいの差があります。なので北京語話者でいても、上海語を聞いて理解することはできません。

私の上海語力

まず、私の上海語力について少しご説明します。

幼稚園と小学校は現地校に通っていたため、上海語に触れる機会は多かったと思います。学校の授業は基本は中国語ですが、上海人の先生は上海語が混ざることが多かったです。特に怒ったりした時にはほぼ100%上海語を使っていました。なので小さい頃から上海語を聞く頻度は高く、当時は結構理解していました。

その後、転向した先の学校では英語がメインになり、上海語を聞く機会が減りました。現在、上海を離れてからはほとんと上海語を聞くことはありません。会話の内容にもよりますが、理解力は大体60−70%くらいではないかと思います。ただ、上海語を話す相手がいなかったので、喋ることはできません。上海語で言う「哑巴上海话」のレベルです。

上海語の現状

上海の上海語の現状は、決して楽観的なものではありません。現在30−40代の人たちは日常的に使いますが、90年代以降に生まれた若い人たちの会話は基本的には「普通語」です。テレビやドラマも普通語が使われているので、上海語を聞く機会もどんどん減少しています。

私が小学生だった頃、授業中に先生たちは上海語で話しかけてくることがあったので、クラスメートたちはみんな上海語を理解することはできましたが、話せる人は数多くはいませんでした。上手に話せるのは祖父や祖母と一緒に住んでいる一部の子供たちだけでした。上海人の両親を持つ家庭であっても、親は上海語を使うけど、子供が返すのは北京語ということが多かったと思います。

上海では今だに地元の人たちの会話は上海語で行われていますが、若者たちが使えなくなってきています。

最近は、上海語を使っているインフルエンサーも増えてきました。

上海語に興味がある方はこちらのYouTubeをご覧ください(緑の字をクリックすると、YouTubeのページに飛びます)

  • 好叫好伐: 色んな芸能人の上海語を評価したり、上海語について色々知ることができます
  • 平纪:上海語で色んな映画のボイスオーバーをしています

闲话上海滩:上海語のニュース番組です、字幕もついているので上海語を学ぶのに最適です

吳儂軟語 Wu Chinese: 上海語をゼロから学びたい方にはこちらの動画がオススメです

阿拉都欢喜讲上海话(上): 上海出身の芸能人が上海の食べ物や生活について語っています

最後に

上海語は上海の文化の象徴だと思います。上海に戻るたびに上海語を聞いて「あ、上海に戻ってきたんだな」と感じる瞬間が好きです。

スイスでの急な家探し

わたしはスイスのホストファミリーの家に半年間住んだことがある。

もともと、私はスイス留学中にホストファミリーの家に住むことなんて全く考えていなかった。学校には寮があったし、出たくなったら友達と一緒にアパートに住むことになると思っていた。

なのに、なぜスイス人の家に住むことになったのか?

それは、学校の寮が足りなくなったからだった。

スイスの家

急に始まった家探し

当時学校は寮の改装工事をしていて、9月の入学時にはみんな入居できるようになる…はずだった。しかし、工事が遅れ、学校が始まるときに寮が足りないという事態がおきた。

学校が始まる三週間前、わたしのもとには学校からこんな感じのメールが届いた。

「工事が終わらなかったから、今学期の寮が足りないよー。みんなごめんね、自分でどこかで家を探してきてね(テヘペロ)」

もう少しだけ丁寧だったけど本当にこんな感じだった。

その時、私はフランスのリヨンで語学学校に通っていた。そんな中での突然の家探しを学校からアナウンスされた。

学校の寮を申し込んでいて、学校の近くの家情報なんて全く探したことのない私にとって家を探すことは大事件だった。

すぐさま家探しに取りかかった。

アパートを貸し出しにしているところに片っ端からメールを送ったが、返事が遅いし、来ても「もうその家は貸し出している」というメールばかりだった。(じゃあホームページも更新してくれよ!)

学校の生徒が一斉に家探しを始めたことで、家がいつもより借りにくくなっていた。

だが、わたしが夏休みにフランスのリヨンにいたことは不幸中の幸いだった。リヨンからだったら、週末にスイスの家を見学にいける。

「ラッキー」と思いながら、家のレンタルをしているサイトにメールを送りまくった。

最初にぶつかった壁

そして、土日の二日間を使って、学校のある街に行って6つ家の見学の予約を入れた。

そこで私は次の壁にぶつかった。

大家さんがあまり私に家を貸したがらないのだ。

私は半年から一年住める家を探していた。そんなに短期間の賃貸をしてくれる人なんていない。ある大家さんには、「できれば5ー10年くらい住んでくれるファミリーに住んで欲しい」と言われた。そりゃそうだ、私でもそうする。

友人には、airbnb の家を長期で借りる人たちも出て来た。長期で借りると、いつもの料金よりちょっと安く借りることができるらしい。しかも、大家との交渉によっては、もっと安くなることもあるそう。それでも、airbnbはやはり高いし、良さげなところはほぼ全部借りられているから、できれば、どこか人の家でも良いから住みたいと思い始めた。

そこで、私はフェイスブックを使った家探しを始めた。

フェイスブックにはたくさんの家に関する情報が出ていた。短期で家や部屋を借り出そうとしてる人や、私みたいな住む場所を探している人もいた。

Facebookでは貸し出し人と直接チャット形式で会話ができたため、エージェントを通すより、やりとりがもっと簡単で早かった。

最初は、他の人が載せているものにコメントしたりしていたが、同じグループの人たちと熾烈な取り合いに勝てなかったため、自分でもそのグループにメッセージを出した。

内容は「半年住める場所を探している大学生です。いい部屋があったらご連絡ください」というものだ。

連絡をくれたスイス人のお母さん

すると、数日後にあるスイス人の女性がコメントをくれた。家に空いている部屋があるから泊まらないかと聞かれた。

フェイスブックのプロフィールを見ると、最近日本旅行にしたばかりの女性だった。日本で良い経験ができたから、私に声をかけてくれたっぽい。

その日に、携帯番号を交換して、ビデオ通話をして、家の様子と家族全員を見せてもらった。

本当に楽しそうで優しそうなお母さんだった。英語も上手で、二人の子供(大学生)も結構英語が話せた。

ビデオ通話を50分ぐらいした。

いろんな家を見たりしたが、そこが一番良さそうだった。

良かった点:

  • ホストマザーが英語が話せる
  • 家族の仲が良さそうだった
  • 場所がよかった(駅から2分、スーパーから2分、でも学校からは少し遠い)
  • 自分のトイレとシャワーがあった
  • 家から湖が見えた
  • 家ではフランス語を話していた(わたしのフランス語が少し伸びたら良いなという期待)
  • 何人もの生徒を泊めたことがある
レマン湖

中でも、一番良いと思った点ははこれまでに何人もの学生に部屋を貸していた。ということだった。何人もの学生を家に泊めたことがあるということは、たくさんのことを経験したことがあり、何かあったら手伝ってもらえると思った。

しかも、一番長く住んでいた高校生は二年住んでいたらしい。普通、ホストファミリーは合わなかったりしたら変えてもらったりする。二年も住んでいたということは、いい家だということなんだろう。

そのあともう一度週末を使って、家を見学しに行った。15年も住んでいる家にしては、綺麗だったと思う。ダイニングルームからは、綺麗なレマン湖が見えて、小さなテラスがあり、猫二匹と一緒に住んでいる家だった。

会うと、すごく優しくグリーティングしてくれ、家の隅々まで案内をしてくれた。

「半年間、ここに住もう」とわたしは思った。

すぐにその旨をホストマザーに伝えて、私はそこに住むことになった。

その後にも先にも何軒か見たが、ここ以上に良いと思うところは見つからなかった。

スイスではアジアみたいに沢山のマンションを立てることはあまり多くなく、どちらかというと昔からある建物を大切にする習慣があるため、家の数が少ない。

だから今回みたいに学校の寮が完成してなくて、生徒が一斉に家を探し出すとなかなか良い物件を探すのが難しかった。

優しい人の家に泊めてもらえることになったのはすごくラッキーだったと思う。住んでいる半年間の間、ちょっとした想像外のことが起こったりしたが(入院など)、すごく良くしてもらった。

住んだ感想についてはまた今度書こう。

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フランス語を日常に取り入れよう!

私は言語習得における重要なモットーがあります。それは、

言語習得は絶対に苦痛であってはいけない。

ということです。

言語はできるだけ楽しく学ぶものだと信じています。

短時間で学んだことはすぐに忘れてしまうので、繰り返しが必要な言語はやっぱり、楽しくないと続かないと思いました。

言語を学んだら、その言語「で」何かをすることがものすごく重要です。その言語に日常で沢山触れていたら、知らないうちに単語量が勝手に増えていたりもします。

そんな「楽しく学ぶ」がモットーな私のフランス語を日常に取り入れる方法をご紹介しようと思います。

勉強以外の隙間時間に、フランス語に触れていたいと思う方に読んでほしいです。

音楽を聴く

言語は耳から、ということでまずは耳からフランス語に慣れてみよう作戦です。

音楽は、聞いてるだけで楽しくなる。普段聴く音楽をフランス語に変えただけで、フランス語を聞く機会が格段に増えた気がします。

最初は、どの歌を聞いたら良いのかわからないですよね。Spotifyを持っている方がいたら、フランス語のカテゴリーで適当に聞いてみたら、あとはいろんなオススメの曲を聞いて自分の好きな歌を聞いたら良いと思います。

YouTubeの場合、最初は”chanson français “で歌を探して、何曲か聞いて行くと、ホーム画面に似たようなオススメが表示されるので、それを辿って、いろんな歌を聞いたりしていました。

シャンソン聴く

シャンソンとは、フランス語で歌われている曲のことで、日本では歌謡曲のことを指すのが一般的だそうです。

聞いているだけでパリにいるような気分になる歌が多いです。

広告がないこういったYouTubeビデオは聞き流しにも最適

Stromae

私は勝手にヨーロッパの米津玄師だと思っている方です。ポップの歌が多く、歌詞も考えさせられるものが多いと思います。

結構、ハマってしまいます。笑

YouTubeで字幕表示すると、英語の歌詞が表示されるので気に入っています。

ウッテイ パッパ ウッテイ
Joyce Jonathan

Ça Iraという歌は聞いていてすごく気分が上がるし、PVも可愛いのでオススメです。

他にもJe ne sais pasもすごく良い曲です。

フランス語を歌う

歌を聞いていたら、歌ってみたくなりますよね。

口に出してみると、書いてある綴りと違う発音の仕方などに気づけることがあるので、面白いです。

ただ、歌えるようになっても、洋楽と違ってフランス語はマイナー言語なので、もしカラオケで歌いたいなら先に良く行くカラオケのお店にどのフランス語の歌が入っているのかチェックすることをオススメします。

ランキング上位の歌は歌いやすいものが多い気がします。

ディズニーの歌

メロディーを最初から知っているものが多く、すごく歌いやすいからオススメです。

Je m’appelle helen

この歌は、中国のカラオケのフランス語の歌で上位にあったので帰って聞いてみたらすごく良い歌だったので、家で練習して歌えるようにしました。

ゲーム感覚でフランス語を学ぶ

Duolingo

無料でかなり遊べるアプリです。私は1日ごとに増えるStreak が楽しくて続けています。今は83日連続で続けています。

隙間時間に遊ぶのに最適です。

Lingvist

AIで高速に単語を学ベルアプリです。

忘却曲線がインストールされていて、最適な復習タイミングで単語をテストしてくれます。学んだ単語を次の日にテストされて、そのあとは3日後、7日後とどんどん間隔が開いてきます。私はこれで1000単語くらい覚えました。

前は無料でも使えていましたが、今は1ヶ月$19.99、3ヶ月$39.99、一年$79.99と有料アプリになってしまいました。

Lyrics Training

歌で学ぼうの極みのようなアプリ。PVを見ながら歌詞を穴埋め。私が今一番ハマっているアプリです。無料版だと1日3曲まで遊べます。

フランス語で動画を見る

YouTube やNetflixをで動画をみるのも楽しいですよね。

私はNetflix でDix pour centというドラマをみています。

Youtube

Easy French – 街の人たちにインタビューをする動画で、ナチュラルなフランス語が聞けて、フランス語字幕と下に英語字幕も付いているので、すごく気に入っています。

innerFrench

こちらは中級者向けの動画です。Hugoさんがわかりやすいフランス語で勉強法や、飛行機の乗り方、など日常で知っていて損はしないことを説明してくれます。

Podcast もあるので、興味がある方は聞いてみてください。

最初は聞いても全然わかりませんでしたが、最近はちょっとずつ理解できるようになってきたのですごく嬉しいです!

French Authentic

フランス語中級者向けの比較的ゆっくりしたフランス語が聞けます。フランス語字幕が付いているので、聞き取れなくても、確認できます。

終わりに

いかがでしたでしょうか。

どの言語でも、上級になると理解できるエンターテインメントが増えて、楽しみが増してくると思いますが、最初の方はなかなか理解できるものが少なくて、大変ですよね。

今回は、A2〜B1くらいのレベルの方がフランス語を日常でも使えるような方法をまとめてみました。

『ぼくはホワイトでイエローでちょっとブルー』フレイディみかこ|感想

フレイディみかこさんの書いた「ぼくはイエローでホワイトデちょっとブルー」は日本に帰るたびに、本屋の目立つところに置かれていて、ずっと気になっていた本だった。

人にも勧められたけど、長い間読むことが出来なかった。

「アジア人と白人のハーフの子供について書かれていて、差別やレイシズムについて考えさせられる本」だということは知っていた。

だからこそ、読めなかった。私は本の名前から、これは日本と白人のハーフの子供がイギリスでいじめられた経験を書いているお話だと勝手に思っていた。

自分がハーフでアイデンティティクライシスで長い間悩んだこともあって、ハーフの子供がいじめられている話などを聞くといたたまれなくなる。読んでいて辛くなってしまう。

でも、この本は違った。面白くて2日で読み終わってしまった。

日台ハーフで中国育ち、アメリカの教育を受け、今はスイスの大学に通っている私にも突き刺さることが沢山書いてあった。

フレイディみかこさんの文章には人を引き込む力がある。本を読み進めているうちに、ぎゅっと心臓を掴まれるような感覚を何度も経験をした。息子の学校で経験したことを書いているだけなのに、自分が息子と一緒に教室にいるような緊張感を味わうことができる。そんな本だった。

時には、気まずい雰囲気の中、息が止まりそうになったり。時には、子供の素直な疑問にどう返せばいいのか一緒に悩んだり。時には、息子さんの素晴らしい感性に感動して涙が溢れそうになったり。

誰かが本の帯に書いたように、「一緒に考えたくなる本」だった。

たくさん、共感できることがあったので、感想文を書いてみたいと思う。


あらすじ

優等生の「ぼく」が通う元・底辺中学は、毎日が事件の連続。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子とパンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。落涙必至の等身大ノンフィクション。

Amazonより

この本の一番好きだった部分は、なにが問題があったときに、息子さんがそのことを自分の中に溜め込まず、お母さんのみかこさんに相談して二人で一緒に考えたりすることだった。

親子でちゃんとコミュニケーションをとって、問題は何なのか、どうしてこういうことが起こるのか、自分はなにができるのかを毎回考えているのがすごく感動させられた。


「ハーフ」の子供たち

まず、最初にすごく共感したのは「ハーフ」という言葉についての考えだった。

ハーフの子供たちは、親と違う言語を話せたり、親よりも住んでいる国の言語が上手だったりする。子供は吸収力が高い分、言語の文法や発音だけでなく、その土地の考え方や文化などもぐんぐん吸収していく。それによって、ハーフの子供は親と持っている「感覚」が違うことも少なくない。

だからこそ、子供と同じ経験をしていない親が、子供の周りで起こった出来事を一緒に考えようとしている姿勢に感動させられた。

世界中には、いろんな種類のハーフがいる。アジア同士のハーフ、アジアとヨーロッパのハーフ、アフリカとのハーフ、親の言語が話せないハーフ、会話はできるけど読み書きができないハーフ。その国に住んだことなく、文化をあまり知らないハーフ… 私もいろんなハーフに出会ってきた。みんな育ってきた環境が違う。

私は日本と台湾のハーフのため、見た目のことであまり悩んだことはない。

この本に書いている息子くんは、アジア寄りの見た目のため、イギリスで道を歩いていると「ファッキン・チンク」(アジア系を指す特にひどい蔑称)と罵られることがあるという。

でも、そんなことをされても息子くんは冷静に考える。なぜ、同級生と歩いていてもなにも言われないのに、アジア人の母と道を歩いているとそんなことを言われるのか。そういうことを言ってくる人たちは、どんな気持ちでそれを言ってくるのか。

冷静に物事を見ている息子くんに少しうるっとしてしまった。

ダブルじゃないの?

最近、日本では「ハーフ」はネガティブな響きがあるといって、「ハーフ」じゃなくて「ダブル」という呼び方をしている人たちが増えている。

昔は「ハーフ」と聞くと、ネガティブなイメージを持っている人が多かったらしい。でもいまは、ハーフモデルたちの活躍によって、「ハーフ」という言葉のイメージが上がってきていると思う。国際結婚の増加により、ハーフの子供たちの数も増えている。

本の中で息子くんが「ダブル」という言葉に対して感じていた違和感、実は私も感じていた。

アイデンティティについて、長い間悩んでいたけど、最近ようやくちょっとずつ自分のことがわかってきたと思う。

私は自分を「ハーフ」だと思っている。

私にとって、「ハーフ」という言葉はすごくニュートラルな単語だ。特に深い意味は持たない。二人の親の国籍が違うから、自分は50%日本人で50%台湾人なのだ。

日本で育った日本人と比べると、自分は「日本人」らしくないと感じさせられる。

台湾にいても同じように感じる。自分は普通の台湾人ほど台湾を良く知らない。台湾人と喋っていると自分の日本人ぽさを感じてしまう。台湾人にはたまに「日本人すぎる」と言われたりもする。「日本人すぎる」ってどういう意味で言ってるのかわからないけど。

そんな感じで、どこにいても急に疎外感を感じることはある。それは日本語が咄嗟に出なかった時だったり、日本の地理や歴史などの常識を知らなかった時だったりする。

日本語を喋るときに変な訛りがない分、「日本人」だと思って接されると、簡単なことを知らなかったときに、すごくビックリされる。そんな顔をされると結構傷つく。

だから私は、自分を守るために「ハーフ」だということを人に先に教えることが多い。ハーフと先に言っておくと、何か知らなくても大体みんな理解してくれるから。

日本にいるときは半分日本人で、台湾にいるときには半分台湾人、足して1が私という人間だと思っている。だから息子くんが言っていた「ハーフ&ハーフ」という言葉を見たときに心の中で「これだ!」って10回くらい頷いた。

そんな感じで自分の中では「ハーフ」という言葉がしっくり来ている。「ダブル」はなんだか自分が急に2倍に膨張した感じがするからあまり好きではない。

だから、個人的には「ダブル」よりは「ミックス」の方が好きだ。

日本での妙な体験

フレイディみかこさんの息子は、顔立ちはアジア人よりだが、イギリスで育ったため、日本語はあんまり話せないそうだ。

家族で日本の居酒屋に行った際、隣の席の酔ったサラリーマンに「日本人なのに日本語を教えないのは日本に対して失礼」と絡まれたりしたことがあったらしい。

私も上海に長い間住んでいたから、海外で自分の母国語を学ぶ大変さはわかっているつもりだ。幸い、上海には沢山の日本人が住んでいたから、日本人の友人もでき、私は日本語を習得することができたが、これがもし日本人の全然いない地域にいたら、日本人学校に通わなかった私の日本語がこれほど上達することは絶対になかったと思う。

居酒屋のおじさんは多分、日本語を喋れない黒髮の人にあまり会ったことがないんだと思う。金髪でも英語を話せない人が沢山いるように、育った環境によっては日本人でも日本語が話せない人もいる。

自分の慣れてないものに遭遇したときに、身構えるのはわかるけど、敵意を向けるのは違うと思う。

マルチカルチャーはいつも手探り

自分の無知で人を傷つけたくない。でも、人の勘違いに傷つく時もある。

本に出てきたアフリカ系のお母さんはフレイディみかこさんが「お子さん沢山いるんですね」と言ったのに対して「そっか、あなたの国では一人しか子供を産んじゃいけないもんね」と返していた。

東洋人を見て中国人だと決めつけているのと、それと一緒に同情の目線を送ったアフリカ系のお母さん。会って数分の挨拶程度の会話で、相手に悪意がないのもわかっているのに、ここまでモヤモヤするものなのか…。

私もスイスに留学をしていて、ヨーロッパのいろんな国の生徒たちを見て、あまり馴染みのない国の人たちは「フィンランドかスウェーデンかノルウェーかデンマークの人」という風に覚えられない時がある。

自分にとって「あまり差のないこと」でも相手にとってはアイデンティティに関わる大事な問題な可能性があるから自分もちょっと気をつけようと思った。

最後に

私にとって、この本はすごく衝撃的だった。ハーフとしても、海外で暮らすマイノリティーとしても、色々と刺さって来ることが多かった。

多様性や国際化が重要視されている今でもまだ、実際に多様な世界に住んでいる人たちは少ないと思う。

私は、この世界には多様な世界に慣れている人と、慣れていない人の二種類の人がいるのだと思っていた。

でも、本を読んで考えが変わった。いるのは自分と違うバックグラウンドを持つ人を受け入れられる人自分と少しでも違う人を拒絶して排除しようとする人だった

世界中の人々の流動性が高くなった今、息子さんと同じように、自分とは全く縁がないと思っていた世界に飛び込まないといけない日がやって来るかもしれない。逆に、違う世界の人だと思っていた人が自分の世界に突然飛び込んで来ることもあるかもしれない。

そんなときに、変化を怖がって自分の殻に小さく閉じこもるのではなく、もっといろんなことにオープンに生きていきたいと思う。

何もわからない人がいたら、わかる人がちょっとずつ教えてあげれば良いと思う。

息子さんは多様性について「頭が悪いってことと無知ってことは違う。知らないことは、知るときが来れば、その人は無知でなくなる」と言っていた。本当にその通りだと思う。

自分の知っている世界の中でだけ生きようとしたり、変化を望まないと、歳をとるにつれて世界は狭くなっていくだけになってしまう。でも、知ろうという気持ちがあるだけで、世界はどこまでも広くなれるはずだ。

【南投】水漾森林登山體驗

台灣有很多美麗的山,之前想爬卻都沒有什麼機會。這次是因為聽說小學同學有跟團爬山,體驗非常有趣才決定跟她一起報名的。

原本我們想去的是奇萊南華,但是因為人數都滿了就決定去南投的水漾森林。後來聽別人說奇萊南華的路程比水漾森林還要辛苦,就很慶幸沒有第一次爬山過夜就選擇比較難的那一個。

水漾森林是因1999年的921大地震,地牛翻身令嘉義石鼓盤溪上游的河道受阻而形成的堰塞湖,原本生長在此的樹木被湖水包圍住,形成枯木立在湖中的夢幻奇景。

不過,想要一睹水漾森林,需要走上約十公里的路程,來回就是二十公里,可一點都不輕鬆。

健行筆記

我一直都很喜歡爬山,但帶著44L的行李到山上帳篷裏住一晚是第一次所以真的很興奮。

登山用品

有一些登山用品可以租,比如登山杖,背包,睡墊,還有頭燈之類的。但是其他主要裝備還是要自己準備。

以前小學的時候買過一次睡袋,但那個又大又重又不保暖,這次就很想買一個好一點的。最後買了鵝絨的能縮很小又很輕的睡袋。真的非常非常優秀!因為它完全不佔包包空間,很輕便。

他們建議購買40L以上的包,我買了44L的以為會太大,後來發現其實東西裝一裝很快就裝滿了(可能也是我第一次登山不太懂要帶什麼)

我們的行程是這樣的:

早上我們在麥當勞吃完早餐以後,在7-11買了兩天份的午餐就出發啦!(我們買了4個飯糰和一些能補充能量的果凍)

登山前集合听嚮導說明
開始登山了!

我們吃完中午飯後就開始下了午後雷陣雨,我以為下雨可能只會下一下下就只穿了雨衣的上衣沒有穿雨褲。後來褲子襪子全濕了,下午走路的時候鞋子裡都一直濕濕的很不舒服。所以建議大家下雨的話一定要穿好雨褲,不然第二天也要穿著全濕的鞋子很不舒服。

因為下雨的關係,本來就走得速度比較慢的我們的步伐變得更慢了。本來預計4:30就能到達,我們卻晚了一個小時才到達我們的目的地。

帳篷已經有人幫我們搭好了
夕陽,超美的!
排隊吃晚飯
晚餐有湯,飯和7種菜
就算是素食者也不用怕
盛在自己碗裡吃
(碗是跟嚮導借的…)
森林裏看到的星星真的很美
如果晚上12點有爬起來就能看到銀河(這張不是我自己拍的)
早上的風景

晾衣服
早餐有粥和饅頭
這次參加的人女生較多,只有兩個男生

感想

在登山時,因為山上訊號不好就很少用到手機。因為平時沒有什麼機會可以離開手機那麼久,就感覺到了一點小小的達成感。

在我們現在的生活裡,手機已經跟我們基本上變成一體了,沒有事情的時候也拿出來手機看一看已經變成了我們的習慣。平時想要離開手機會很幸苦,但在山上就不會了。

總之第一次登山體驗真的很棒!兩個嚮導都很照顧我們。


有興趣的朋友們可以查一下台灣368哦!

台湾で一泊二日で登山してきた!【水漾森林】

台湾は山に囲まれていて、いつか登山ができたらなーとずっと思っていたのですが、やっと実現できました!

小学生の時からの友達が、一人で登山ツアーに参加してすごく楽しかったと言っていたので、一緒に行ってみることになりました!!

本当は奇萊南華に登りたかったのですが、もう人数が全て埋まっていたので、南投の水漾森林に行くことにしました。

登山は好きで、日本でもヨーロッパでも山に登ったりはしていましたが、自分で全ての持ち物を背負って、山のテントで一泊するのは初めてだったので、すごくドキドキしました。

登山の最初に説明を聞いているところ
登山開始!

昼食を食べ終わって、1時間くらいするとものすごい雨が降ってきて、4時半に到着するはずが、1時間遅れて5:30到着しました。

着いたらテントが張ってあった
夕焼け
晩御飯の列
スープ、ご飯と野菜や肉が七種類も!
ヴィーガンやベジタリアンでも全然大丈夫。
自分のお皿に盛って食べる
星が本当に綺麗でした!
夜の12時まで起きていたら銀河が見れたらしいです
朝の風景

元々は森でたくさん木が生えていたらしいけど、水路が変わるにつれ、ここ一帯は水が増えて、元からあった木が枯れてしまって今の状態になったそう。

みんなの荷物
干している服
朝食はお粥と「饅頭」
今回は女性が多く、男性が二人しかいませんでした

帰ってきた次の日は疲れてずっと寝ちゃいましたが、初めての台湾での登山はすごく楽しかったです!

今回は台灣368というところで申し込みました。

体験入学で私が戸惑ったこと7選

私は小学生の頃、中国の現地の学校に通っていましたが、毎年夏休みと冬休みの期間だけ日本の小学校に体験入学に通いました。

体験入学の経験についてはこちらのブログで書いています。

今回は、体験入学で私が戸惑ったことをご紹介したいと思います。

散々だった漢字のテスト

中国の学校に通っていた子供にとって、日本の漢字のテストは楽勝なんじゃないかって思いますよね?

実は、中国の漢字と日本の漢字は結構違うんです。

例えば、骨という文字。日本語と中国語では漢字が違います。

違いはお分かりでしょうか。

這10個日文漢字,90%學日語的人都會寫錯! - 每日頭條
右が中国語、左が日本語の「骨」

骨の中の3画目が左右逆なんです。

他にも、

春のはらうところが若干違います
中国では黒という漢字の中は点を書きます
中国では角という字は下まで伸びます。
日本語は目と書きます
点と棒の違い
作文で「今日」って書いただけでバツをつけられました…

」と「

日本語では右上がムで簡体字では上が口です。

中国大陸では、簡体字という漢字が使われています。台湾や香港などでは、繁体字が使われています。どちらも、日本で使われている漢字と少し違います。

日本と中国の漢字の違い、書き順の違い、送り仮名や読み方など、意外と漢字のテストには苦戦しました。

上の写真でもお分かりのように、常用漢字でも本当に少しの違いがあったりします。なので作文を書くと、漢字を直されてばかりでした。

中国ではどれも合ってるのに…! と心の中では思っていましたが、それを言ってもなんだか負け犬の遠吠えな気がしていちいち言いませんでした。

ただ、漢字自体には馴染みはあったので、日本語で読み方がわからない漢字があっても、意味はだいたい理解できました。なので、他の教科ではあまり困りませんでした。

チェックの意味が違う

日本では、正解した時に丸、間違えた時にチェックをつけますが、中国では、正しい時にチェック、間違えているところを先生が指摘したい時に丸で囲まれることが多かったです。

写真はイメージです
画像引用: http://umesakura.jp/20070412231308.html

ですので、間違えだらけのテストが帰ってきても、あまりショックを受けませんでした(笑)。これが逆にポジティブでいられた理由かなと今は思います。

九九を半分しか覚えない

日本では、9×9を覚えますが、中国では小さい数字x大きい数字だけを覚えます。

なので、半分の九九しか覚えません。どういうことかというと、9×3の場合、も3×9 の場合も両方 3×9 なので、3×9だけを覚えます。

日本で8x3は24って聞いた時にはちょっとビックリしました。

書道ができない

小学校の書道
画像引用: http://umesakura.jp/20070412231308.html

私の通っていた中国の学校には書道の授業がなかったので、日本の学校でするのが初めてでした。

みんな学年が上がるごとに上手くなっていっていましたが、高学年になると、レベルの差がすごく開いていきました。

6年生の時の習字のクラスで書いた字は本当に私がダントツ下手くそでちょっと恥ずかしかったです。

冬なのに半袖短パン?!

写真はイメージです

日本の学校では、冬でも体育の授業では半袖短パンが必要でした。

授業から、外に行くまでの間は、パーカーなど着ても大丈夫でしたが、運動をする時には脱ぐことを求められました。

これには本当にびっくりして、最初の時はあまり慣れなかったです。

みんな字が綺麗、絵が上手

日本で毎回ビックリしていたことは、みんなの字の綺麗さと、絵の上手さです。

ここは、さすが漫画とアニメ大国といっていいと思います。

ランドセルを自分で背負う

中国では、授業の教科書が分厚いこともあって、小学1年生から重いカバンを持つことになります。

日本とは違って、登校と下校は親のお迎えが必要です。

登校時間は少し時間にばらつきがありますが、下校時間になると、大勢の親が自分の子供を迎えに学校の門の前で群がっています。毎日が空港の到着ロビーのようです。

親が子供を迎える様子

重い物を子供に持たせると、身長が伸びなくことの恐れと、持たせるのが可哀想という考え方の元、子供の荷物は親が迎えにきている場合は、親が待つことがほとんどでした。

一度、母が私に背負わせたまま帰ろうとすると、「何あんた子供に重いカバンを持たせて!ダメでしょ!」と叱られてしまったことがあるそうです。

親が子供のカバンを持っている様子

なので、親にカバンを持ってもらうことに慣れていた私は、体験入学の初めて一人で登校する最初の日やってしまいました。

母に「いってらっしゃい」と言われると、「はい」といって母にカバンを渡してしまいました(笑)

最後に

いかがでしたでしょうか。共感を得られましたでしょうか。

日本と中国では、言語も文化も全然違うため、戸惑うことが少なからずありました。

最初に書いた漢字については、常用漢字でも違いがすごく多かったため、真っ赤な作文用紙が返ってくるたびに、凹んでいました。

それも、今考えると良い経験です。

一部の写真はこちらのサイトから引用しました:

https://kknews.cc/culture/mpvq559.html

12回日本の小学校に体験入学した私の体験談

体験入学とは?

体験入学とは、海外在住の子供が現地の学校の長期休みを利用して、一時帰国中に日本の小学校に通い、その生活を体験することです。

私は当時中国の現地校に通っていたので、夏休みと春節休みの期間を使って体験入学をしました。

1年生から6年生まで1年に2回通ったので合計12回通いました。回数はかなり多い方だと思います。

実は、小学校に通う前も、日本の幼稚園に体験入学で通ったことがあったので、小学校が初めてではありませんでした。

体験入学をした理由

中国の学校に通っていて、日本人が周りにあまりいない環境で育ったので、親が日本のことをもっと知って欲しいという思いで、学校に通うことになりました。

中国と日本では文化が違い、学校生活で経験できることが全然違います。私の両親は、体験入学を通して私に日本の礼儀、しつけ、習慣の違いを少しでも学んで欲しかったのです。

それ以外にも、私の中国で通っていた現地校があまりにも大変だったため、勉強だけじゃない楽しい時間を過ごせる子供時代を経験するために日本の学校に通いました。

毎年二回、合計12回も体験入学をした理由は、それぞれの学年で学べるものが違うからということでした。低学年には低学年の楽しさがあり、高学年には高学年の楽しさがありました。

色々と書きましたが、結局のところは母が友達に勧められたからというのが大きかったと思います笑。口コミの強さですね。

中国の学校と日本の学校は全然違う!

中国の現地校から日本の公立の学校にいくと、いろんなことが違っていました。

写真はイメージです

1. 一科目しか教えない先生vs全教科を教える先生

中国では、小学校でも中学や高校と同じように、先生は科目ごとに分かれていました。ですが、日本の学校では一人の担任の先生が全科目を教えていたことが最初のショックでした。

算数の先生が国語も体育も教えていて、本気でスーパーマンかと思いました。日本の小学校に通って、それが普通だと思っている方は高校の物理の先生が日本史も教えていることを想像してみてください。それが私が受けた衝撃の大きさです(笑)

中国では、先生は1科目しか見ないので、生徒の学力だけをメインに評価していました。それに比べて日本の先生は、全科目を見て、休み時間も一緒に過ごしたりすることによって、生徒の学力だけでなく、人間関係なども全方位から理解することができると思いました。

ただ、そこまで求められる日本の小学校の先生は本当にスーパーヒーローだと今でも思っています。

2. 先生は絶対 vs 先生が一緒に遊んでくれる

中国で通っていた現地校で先生は絶対的な存在でした。一年生の先生はもう本当に鬼のような先生で、怒っていない時間の方が少なかったです。勉強が一番重要視されていたので、それ以外のことを学校でした記憶があまりありません。

日本に来ると、先生の楽しさにびっくりしました。授業中たくさん笑わせてくれるし、休み時間になると一緒に遊んでくれる、友達のような先生がいるということにまず驚きました。

私が思い出深いのは、冬のある雪の日、みんなで20分休みに雪合戦をした時です。

みんな先生が大好きだったので、みんな先生を狙っていました(笑)。あるヤンチャな男の子は、雪のボールをこっそり先生のポケットに入れていて、教室に戻ると先生のズボンがびちょびちょになっていました。流石に先生はその時は怒っていましたが、そのあとまた一緒に遊んでくれました。

そんなことをすると中国の学校では死ぬほど怒られるなと思い、ちょっと私はビクビクしていました。

3. 学んだことのないことがたくさん!

日本の学校で、たくさん初めての経験ができました。習字の授業で書道をしたり、家庭科で縫い物をしたり、音楽でみんなで一緒に合唱をしたり… 新しいことを挑戦するたびにドキドキしました。

当時私が通っていた中国の学校では、学校=勉強する場所という考え方が強かったので、国語、算数、英語の授業以外は割と軽視されていました。

国語の授業が授業時間内に終わらなかった場合、休み時間やその次の音楽や体育の授業がそのまま潰されて国語の授業になることがすごく多かったです。

音楽の先生が教室に入ってきても、国語の先生が「ごめんね、音楽の先生、国語の授業が終わってないの」というと音楽の先生は「わかった」と言って教室を出て行ったりしていました。

なので、ちゃんと授業が受けられる音楽、美術や体育の授業が本当に楽しかったです。

4. 日直がいる

日本では、日替わりの日直が、授業が始まるときに「起立、着席」と言ったり、給食の献立を読んだりしますが、私の通っていた中国の学校に日直はいませんでした。

5. 給食の時間

お昼の時間は毎日の楽しみでした。日本で食べた給食は、本当に美味しかったです。あとから知りましたが、私の行った学校には、すごく熱意のある給食のおばちゃんたちのチームがいて、出汁は天然素材を使ったものしか使わなかったり、肉饅も全て手作りで冷凍のものは出さないなど色々とこだわりがあったそうです。なので、いま思い返してもめちゃくちゃ美味しかったです。 

給食を食べるときに、すごく楽しい班になると、本当に面白い人たちがいたりして、食事中ずっと爆笑したりしていました。掃除の時間の鐘がなって、みんな慌ててご飯を頬張ったりしたのも、良い思い出です。

中国の学校では、日本と同じように教室で給食を食べていましたが、食事中は静けさを求められました。席も一人一列でみんな離れて座っていたので、みんなでワイワイ食べるという感じではありませんでした。少し話し声がうるさかったりするとすぐ、先生に「静かにしなさい!食事中でしょ!」と怒られました。なので、日本の学校で給食の時みんなでワイワイするのは最初はちょっとカルチャーショックでした。

給食の時間

6. 掃除をみんなでする

掃除を自分たちでしないといけないのも驚きでした。中国では、専門の清掃員がいます。なので、学生は掃除をすることがあまりありません。

日本の掃除の時間では掃除の楽しみを知りました。みんなが嫌がる雑巾掛けも、じゃんけんで負けてすることになっても、私にとっては貴重な体験だったので全然苦ではありませんでした。

7. みんな薄着

中国の子供達と比べて、日本の子供達は冬でも薄着です。私は中国にいた頃、冬には分厚いダウンの中に3枚くらい薄着を着込む時もありました。みんな冬には3,4枚重ね着をしたりしていました。

日本に来ると、寒いのにみんな長袖2枚で過ごしたりしていてショックを受けました。中には雪の日にも短パンとタンクトップで学校にくる男の子もいました。中国でそれをしたら、学校にたどり着く前にたくさんのお節介おばさんにもっと服を着なさい!と怒られると思います。笑

ただ、その男の子は次の日熱を出して学校を休んでいました笑

8. 席替えがくじ引き

日本の学校でもしかしたら一番びっくりしたことがくじ引きでの席替えでした。

くじ引きで席を決めるって、公平「すぎる」ので、席替えがそんなに公平でいいのか!というショックでした。

私が通っていた中国の学校では、席は先生が決めていました。なので私はそれがずっと当たり前だと思っていました。大体、最初に背の低い子と視力の悪い子は前に座らせられて、それ以外の人たちが真ん中と後ろに座らせられていました。

途中で授業中うるさかったりすると、先生が席替えをさせて、二人は離れ離れになったりしていました。日本に行く前はずっと席を決めることも先生の仕事のうちだと思っていました。

9. 校歌を歌うvs 国歌を歌う

中国の学校では、毎朝朝礼の時に中国の国歌を歌っていました。日本の学校では国歌ではなく校歌を歌うと知った時にはちょっと驚きました。

楽しかったこと

日本の学校に通っていて、楽しいことは本当にたくさんありました。私が当時通っていた、中国の現地校は勉強にしか関心がなかったので、学校で楽しい思い出があまりありませんでした。とにかく、勉強をさせられていた記憶しかありません。(笑)

でも、日本の学校に行くと、でみんなで給食を食べたり、休み時間遊んだり、書道など本当にたくさんの経験ができたことが何よりも楽しかったです。

日本の学校に行って、日本人の友達を作れたことも自分の日本語力にすごく自信が持てるようになりました。

大変だったこと

もちろん、体験入学は楽しいことばかりではありません。大変なこともたくさんありました。

1. できないことだらけ

みんなが通っている学校に突然入ることになるので、全てにおいて出遅れていることになります。

私の場合は中国の学校で学ばなかったことを日本で初めてするのがちょっとキツかったです。(書道、音楽の合唱や演奏、美術で彫刻刀を使うことなど)大体、7月の一学期が終わる頃に体験入学に行っていたので、周りはもうみんな慣れていることに初めて挑戦するという形になります。

今考えれば初めてすることなので、できないことは当たり前ですが、当時の自分にとっては、「あれもできない、これもできない」日々が続くのは少し辛かったです。

周りの同じ年齢のみんなは当たり前のように出来ていることが自分はなんで出来ないんだろう?と考えると落ち込んだりしていました。

2. 友達作り

今考えるとこれも当たり前って言えば当たり前なのですが、行く期間が短いので、友達作りは少し難しいです。

友達作りの難しさは、回数を重ねることと、年齢を重ねるごとに難しくなっていきます。

高学年の方がきつい理由は3つあります

  1. 1. 仲良しグループが出来上がってる:  低学年では、みんな一緒に仲良く遊んでいたのが、高学年になると男女別れて、小さなグループがたくさん出来ていました。その中に入るのが結構難しかったです。
  2. 2. 放課後に忙しくなる: 早い子は小学校3年生から塾が始まって、放課後に一気に忙しくなることが多いので、放課後に一緒に遊ぶことが出来なくなります。
  3. 3.委員会やクラブ活動が始まる:高学年になると、委員会やクラブ活動が始まるので、休み時間や放課後にみんな忙しくなると、遊べる相手がいなくなる。

3. 拒否される経験

小学生は、正直なので、はっきりとものを言う子は本当にはっきり言います。

「一緒に遊ぼう」「やだ」、「一緒に帰ろう」「だめ、〇〇と帰るから」

などと、急に拒絶されてびっくりする経験がありました。

幸い、私は一人でも大丈夫な子供だったので、拒否されたら、他にやれることを探したり、他に帰れる友達を探したりしました。

今思うと、子供って残酷ですね笑

結論: 行ってよかった

楽しいことも、大変なこともたくさんあったけど、結局は行ってよかったなと思っています。

日本の学校に一緒に通っていた友人とは大学生になった今でもfacebook やinstagram で繋がっていたりして、たまに連絡を取り合ったりしています。

去年の冬には体験入学で知り合った日本の友達と7年ぶりに会って、当時のことを振り返ったりしてすごく楽しかったです。

少しの期間でも、日本の学校に通えたのは、日本を理解するという面でもすごくよかったと思います。

日本の学校に短い期間でも行くことによって、日本をよく知らないというコンプレックスから少し解放されたと思います。

日本で育った日本人と同じような経験をしたというのは、私にとって大きな自信になりました。

日本の学校の様子をアニメや漫画などで「知っている」だけでなく、実際に「経験」するのは本当に素晴らしいことだし、特別なことだと思いました。

もし、迷っている方がいたら、絶対に行くことをオススメします。


日本の学校で私が戸惑ったことについての記事はこちらから読めます。

ハーフが商品名にちょっと弱い話。

シーチキンってなに?

この前、母にシーチキンの買い物を頼まれた。

何も深く考えず、スーパーに行った。そして、ハッと気づいた。

私はシーチキンがなんなのか知らなかったのだ。

日本のスーパーでは見たことがある、家でもその缶は見たことがあるから、それが缶に入っているものだとは知っている、パッケージの水色のシーチキンの文字も覚えている…

でも、中身がなんなのかわからなかった。私の頭の中にあるイメージのものを買えばいいやと思い、二つ返事で買うことを決めたが…

ここは台湾だ、商品には中国語表記がされている。商品名を知っていたところで、ものは買えない。

だったら、シーチキンがなんなのかを当ててみて買うしかない。

シーチキンって名前だから、缶に入ったチキンかなと思い、鶏肉を探してみた。 ない。

缶詰で売っているものは、魚や蟹やフルーツなどがあったが、残念ながら、シーチキンの「シー」が英語のseaに変換されることはなかった。(気づいたところで、シーチキン=海のプロテイン=ツナという答えを導き出せたかと言われるとそれもちょっと微妙だが…)

私は最後のヒントを元に、買い物をすることに決めた。

そう、私は家を出る前に母に「サラダに入れるためのシーチキン買ってきて」と頼まれていたのだ。

サラダに入れるためなら、ツナでもいいだろう。シーチキンはまた今度買いに来よう。完全に代用品を買った気持ちでいた。

家に帰り「シーチキンなかったからツナ買ってきたよ」というと爆笑されたというのがこの話のオチだ。

最後に

これは、ただただ、私が商品名に弱いという話だ。

もしかしたら、ハーフや帰国子女あるあるなのかもしれないと思い、その時の心のうちを書いてみた。

日本語ペラペラに喋れても、日常で使うものを知らなかったりする。

ものを知っていても、商品名は地域差もあったりするから意外と知らなかったりする。

もし、シーチキンを知らないっていう人がいてもバカにしないで欲しい。「ツナ」って言えば絶対に知ってるから!!

スイスで留学中の私が台湾で隔離されるまで

コロナウィルスのため、スイスの大学で授業ができなくなった。生徒はみんな家に帰るように命じられ、留学生は自分の国に帰っても良いと言われた。そして、私は急遽台湾に帰ることになり、自宅隔離をすることになった。

スイスを離れる

3/12木曜日の時点では、スイスの感染者数が800人を超えていた。

アメリカの大学や、私の州にある他の2つの大学やは学校での授業が停止した。私の学校も、おそらくもうすぐそうなるだろうとみんな予想していた。

3/13の金曜日の午後、スイス政府が全ての学校の授業停止を発表した。その後まもなく、学校からも学校が休みになるというメールが届いた。

そのことを親に伝えた2時間後に父から、台湾に帰ることを言われた。それと一緒に次の日の午後2時の飛行機のチケットも送られてきた。

え??明日?

「今は緊急事態だ。」

でも急すぎない?明後日じゃダメ?

私はまだそこまでの危機感を持っていなかったから、急に帰ることを言われてすごく戸惑った。

「帰れるときに帰った方がいい。」

そう言われて、やっとスイスの状況を少しだけ飲み込めた。

そっか… 帰らないといけないのか…

たくさん食べ物をストックして、買い物に行く頻度を減らせば、スイスで乗り越えられると思っていた。でも、急に台湾に帰るなんて… しかも明日…。

私は、数日前から徐々に買い込んでいた大量の食べ物をどうするか考えながら、しぶしぶとパッキングを始めた。

飛行機が飛び立つで21時間もなかったから、パッキングは大変だった。特に困ったのは、数日に渡って買い込んでいた食料をどうするかだった。

賞味期限や消費期限が5月の食料大量な食材を見ながら、どうするか悩んでいた。

今学期はまだ始まって1ヶ月しかたっていない、そして、学校が5月より前に始まることは絶対にない、だからと言って5月に始まるという保証もない。

今学期学校に戻ってこれるかもわからない。この先どうなるか、全く予想ができなかった。

でも、戻ってこれない可能性もあったため、結局自分の持ち物を段ボール3つに詰めてから台湾に戻ることにした。

いざ、飛行機に乗る

私がアジアに戻りたくなかった理由の1つに、飛行機に乗りたくなかったというのがあった。

ヨーロッパからアジアだと、10時間以上飛行機に乗らなくてはいけない。しかも、乗り継ぎもあるから二回は乗らないといけない。

飛行機は、長時間密閉空間に大人数で乗るため、感染率は電車やバスの100倍あると聞いていた。当時はそのリスクを取りたくなかった。

台湾に帰る飛行機で、感染しちゃったら、なんのために帰るのかわからなくなってしまうからだ。

でも今は状況が変わった。

学校は休みになるし、スイスも鎖国すると言う噂が流れている。もし、スイスが本当に鎖国したら、アジアに戻れなくなる。飛行機も飛ばなくなるかもしれない、スイスでいつ混乱が起こるかもわからない。

家族が上海に住んでいて、中国のいろんな都市が次々と封鎖されて行くのを見ていた私は、スイスも同じようになるかもしれないと考えた。

アジアに戻るために、そのリスクを取らないといけない。でももちろん、飛行機に乗るときにできることはしたい。だから、台湾人の友達に言われていた3つのことを気をつけようと思った:

  1. ウェットティッシュか消毒液で常に手を消毒する
  2. マスクを絶対に外さない
  3. 飛行機ではものを食べない

この3つさえ守れば、リスクは少しは減るはず。

ドバイから台湾へ

スイスの空港と違い、トランスファーしたドバイの空港でマスクをしている人は格段に多かった。

ドバイから台湾行きの飛行機では、マスクをしている人たちがさらに多かった。多分、8割くらいの人はマスクをしていたと思う。

飛行機では、台湾人の意識の高さが目立っていた

飛行機に乗ってすぐに、消毒液やウエットティッシュを取り出して、自分の手、スクリーンやイスの手すりなどを消毒していた人たちが、たくさんいた。

一瞬、飛行機が消毒液の匂いでいっぱいになった瞬間があった。

なんだか不思議な経験だった。

台湾に到着

私がスイスを離れることを決めた金曜日の時点では、ヨーロッパから戻っても、自宅隔離はしなくてもよかった

でも、日曜日からは、ヨーロッパから帰ってきたら、自宅隔離をしないといけなくなっていた。だから私は、自宅隔離のための紙を飛行機で渡された。

台湾の自宅隔離のステップは大きく分けると4つだった。

  1. 自宅隔離の書類に電話番号や住所を記入する。台湾の携帯がある場合は携帯でできる(携帯のSIMを追跡するらしい)
  2. 空港で電話してチェック
  3. 一日二回、健康チェックの電話がかかってくる。
  4. 家に食べ物やマスクを届けてくれる。私は、インスタントヌードルをもらいました。

隔離中に家を出たら、最高100万元の罰金が課せられる。

実際の隔離生活

私は家族が高齢の祖父母と住んでいたため、いとこの家に泊めてもらった。そのいとこも、私が戻る2日前に海外から台湾に戻ってきたばかりだったから、一緒に隔離生活を送れて、ラッキーだった。

家に14日間もずっといるため、時間がたっぷりあることになる。だからこそ、ダラダラ過ごすのではなく、ちゃんと1日1日何をするか決めておくのが重要だと思った。

毎日できるだけ、前日に計画をしておいたことをするようにしたら、だいぶ気持ちは楽になった。

学生たちはどうしてる?

学校が全ての生徒に家に帰ることを求めたため、私の友達も少数のスイスに残った人を除いてみんな自分の国に戻った

私は、いとこの家に泊まらせてもらったけど、祖父母と一緒に住んでいる友達は、完全に自分の部屋で隔離をしていた。

この前ビデオチャットをしたら、みんな元気そうだった。大変なのは、アジアの国だとスイスと6時間の時差があるため、大学のオンライン教育を受ける際、午後5時の授業などは夜11時に始まることだと言っていた。

最後に

今回、こんなことになるなんて誰も予想していなかった。学校に行って1ヶ月で自分の国に帰るように言い渡されるなんて思っていなかった。

でも、アジアに戻ってきた今は、できるだけ家でできることをして、この時間を有意義なものにしたいと思う。

今、世界中で大変な思いをしてる人も多いと思うけど、早く収束してくれることを願うばかりだ。